崖から落下していくフィル。
その姿を一部始終見ていたエントムは、ずっと彼を襲っていた恐怖に思わず身を震わせる。
「いやーぁぁぁぁ……全く危険な奴でしたねぇ」
「……これは、素晴らしい……」
ディランは、彼の話に聞く耳を持たず、ここに倒れている一つの死体を――頭から手……手から胴……胴から足まで、舐めるように見ていた。
その様子をエントムは首をかしげて見ていたが、その『意味』を理解して大声で笑う。
「ハッハッハ!いやはやいやはや……ディラン殿は昔と変わらず研究熱心ですなぁ」
「フフッ……私の目的のためですから……」
「そう!目的と言えば!」
エントムはポンッと手を叩き、ニコニコしてディランに話しかける。
「これで、目的だった勢力の五分化することは成功したようなもの!さすがディラン殿、策士でありますな!
これからも……宜しくお願いしますよ?」
「そう――ですが、あともう一手で私の目的は完成されます」
「もう一手?」
エントムはその『聞かされていないもう一手』を疑問に思った。
その瞬間、彼の正面から魔法の火炎球が飛来した。
火炎球はエントムの顔面に直撃し、彼の顔を焼き払っていく。
「ア゛ア゛ア゛ァァァァァッ!!!」
飛来した?いや違う、この魔法はディランによるもの――
そう理解した時、彼は既に胸を氷の柱で貫かれていた。
「がぁ……っ――」
「君の死を以って、私の『今回』の目的は完成される」
何も抵抗できず、ただただその場で力なく倒れるエントム。
その様子を無表情で眺め、絶命を確認したディランは自らの杖をその死体に放り投げた。
「エントム・L・イグノレンス……昔から君は凡夫だったな。私を苛立たせる程に凡夫で、凡人で、凡才だった。
正直に言って、私の友人扱いどころか君を人間扱いするのは反吐が出る」
そして、自らが使っていた通信クリスタルをエントムの死体に投げつけると、
ディランは自身が目をつけていた別の死体を抱え、山を降り始めた。
「――だが、何の取り柄もなくただ流されて生きるだけだった君は、これで『ディラン・スカラブレック』として死ねるのだ。
凡人には勿体無さすぎる程に、名誉な死だろう……地獄で誇っているがいい、エントム」
ふと、ディランは足を止める。太陽が眩しい。
彼は天を見上げ、一人寂しそうに呟いた。
「セリア……僕の計画は少しずつ進んでいるよ――もう少し待っててくれ」
彼のつぶやきは、アンバーステップに吹くそよ風にかき消されていった。
そして、ちょうど彼が山を降りた頃、傭兵将軍ウィンビーンを筆頭とした武装蜂起によって、ゲブランド皇帝は命を落とした。
多くの人間の命を奪った無意味な内乱は、これで幕を閉じた。
後に、西ゲブランドは正式に『カセドリア連合王国』として独立が認められる。
そして、ウィンビーンの元、聖女王ティファリスが統治者としてカセドリアをまとめ始めるようになり、
同時期にゲブランド皇帝の跡継ぎとしてライル皇帝が即位するが、これは少し先の話。
後日、戦域調査に入ったカセドリア軍は、『フィリップ・スコット・ランスのソフトフェルトハットと刺突剣』、『ディラン・スカラブレックの死体』を、
アンバーステップ山で発見し、『フィリップ:作戦行動中行方不明』『ディラン:作戦行動中死亡』と報告された。
その報告は、屋敷で少年の帰りを待つ少女の元へも届くことになる――
ランス家の屋敷に、一人の女性が訪れる。
(たしか最近、ここの家事手伝いが原因不明の病に掛かった、とかいう話があったな……)
女性が扉をノックすると、屋敷からは少女が現れた。
「えっと……誰ですか?」
「クヌートだ」
彼女は立派な鎧に身を包み、頭には『ハーピィの風切り羽』のアクセサリーを付けた女性、クヌートだった。
腰には二つの刺突剣を携えていた……一本は『ペラギアヒルト』で、もう一本は『モノケロスホーン』であった。
「フィリップ・スコット・ランスの知人――といえば分かるか?」
「ああ!フィルの知り合いさんね!私はシエル!久しぶりに人に会った感じだなぁ……」
憂鬱げな顔をしていた少女であったが、彼の名を聞いて急に笑顔になる。
「フィルってば、まだ帰ってこないんだよ?道の迷ったのかしら?」
「……」
少女の様子は純粋無垢そのものだったが、クヌートは笑顔になれなかった。
彼女は無言で手紙を差し出した。
「……?」
それを受け取った少女は、宛名を見てさらに笑顔になる。
手紙には、「フィリップ・スコット・ランス」との名が。
「フィルからだ!」
少女は焦りながらも急いで封筒を開け、中身を取り出した。
中には、一通の手紙と、一枚の『ハーピィの風切り羽』が。
彼女は、それを読み始めた。
――親愛なる、シエル・フェリシア・ランスへ。
君がこの手紙を読んでいるということは、僕はきっと帰ることが出来なかったのだろう。
約束を守ることが出来なくて、本当にごめん。
そんな僕は、きっと生きて帰ってきたとしても、きっと目の前の君すら守れないのだろう。
……出発前に渡し忘れていたけど、シエルが、フェンサー皆伝を認定した証として、
僕の『ハーピィの風切り羽』を入れておくよ。必要無ければ捨ててしまって構わない。
どうか、僕のことは忘れて、立派に、そして幸せに生きて欲しい。
自分の、自分らしい人生を歩んでください――
黙って手紙を見ていた少女は、黙って手紙を元通りに戻すと、黙って机の上に置いた。
ただ、今にも泣き出しそうな様子なのは、クヌートには容易に理解できた。
(さすがに酷だったか……)
彼女は無言で踵を返し、屋敷を出た。照りつける太陽が眩しい。
腰の刺突剣……『モノケロスホーン』に手を伸ばす。
(フィルめ……誰がこのような返し方をしろと言った……!)
そうして、屋敷の門を開けようとしたその時、後ろから声を掛けられる。
「あの……クヌート……さん?」
先ほどまで笑顔で手紙を受け取っていた少女だ。
目が赤くなり、頬には涙を流した後があるが、目を見るに悲観しているわけではないようだ。
「……何だ?」
「あなたも、『フェンサー』……なんですよね?」
「そうだが?」
その少女――シエルは、毅然としてクヌートを見つめながら言った。
「私に『フェンサー』を教えて下さい」
それを聞いたクヌートは、呆れた顔をしてため息を一つついた。
「ふぅ、やはりそうなるか……
ダメと言っても付いてくるんだろう?」
「……」
彼女はじっとクヌートを見ている。
こういう根を曲げない所は、どこかあいつに似た所があるような……無いような。そんなことを彼女は思った。
「……いいだろう!ついて来い」
――こうして『シエルの、シエルらしい人生』が始まることとなった。
そうして彼女はフェンサーを学び、戦いを学んでいくのだが……それもまた少し先の話――で、ある。
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