地下の小部屋を出たその時フィルは、突如暗闇の中から何者かの奇襲を受けた。
「……うわっ!?」
不意に胸元に非常に強い衝撃を受けたフィルは、その場で仰向けに大きく転倒してしまった。
ふと気がつくと、何者かに胸元の上辺りに乗られているのが分かった。
暗闇でよく見えないのだが。
その時、急にフィルの目の前で明かりが点く。
そこに浮かんだのは、腰まで届く長い黒髪と隻眼が特徴的な少女――先程のスカウトだった。
「君か……」
体格差はあるとはいえ、上手い具合に乗られており、体を起こすのは難しいだろう。
両手は一応自由だが、この体勢で手だけでひっくり返すのは難しいだろう。
そもそも、スカウト相手にこの状態になった時点で敗北はほぼ決まったようなものだ。
しかし、武器は取り上げてあるし、フィルの刺突剣も一度上から退かないと取れない位置にある。
フィルは、相手の対応を待つことにした。
「っ……勝ったあー!」
「え!?」
馬乗りのまま、突然大声を上げる少女。
あまりに唐突すぎる出来事に、フィルは驚き、目を丸くしている。
「ひひっ、お兄さんって甘い人なんだね!」
「……否定はしないよ」
敵からも言われてしまった。
そもそも常識的に考えれば、自らの命を狙ってきた人間を、偏屈な理由でみすみす逃すような行為は普通ならしないだろう。
戦争において、甘さは命取りになる。それはフィルは十分分かっていることなのだが。
「もしかして年下趣味?」
「それは否定しよう……というか、君とそれ程年齢は変わらないと思うけど」
「冗談だよ冗談。というかお兄さんそんなに年取ってないんだ、老けてるって言われない?」
「さっきからエグいこと言ってくるね、君。……で、何が目的なんだ?」
自分の命を狙ってきたはずの人間だが、殺意が無いことを感じ、思わずフィルは疑問を投げ掛ける。
武器は既に取り上げているとはいえ、少なくともスカウトにとっては標的を仕留めるのに絶好の機会であるのは間違いない。
「うーん……暗殺に来たのに、なんか華麗にスルーされて、ムッと来ただけかな?」
「……それだけ?」
「それだけ」
フィルは、真面目にやれば人並み以上に動けるであろうスカウトが、まして他人を暗殺しに来た人間が、
そんな下らない理由で再び狙いに来たということに、呆れ顔とも言えない珍妙な顔をしていた。
「よし!じゃああたしが勝ったから今度はあたしの話を聞いて!」
「……好きにしてくれ。
どうせ僕は君に押さえられてて動けないんだ」
フィルがそういうと、少女はゆっくりと息を吐いた。そして、一呼吸おいて話し始めた。
「――私の家は、元は貴族だった。
帝国がエイケルナル大陸を支配する戦火の中、あたしのパパとママは亡くなったわ。
残ったのは子供のあたしと、あたしを育ててくれたおばあちゃんだけ。
何も出来ないあたしを引き取ってくれる家もなく、何かやろうって思っても、この右目のせいで人前での仕事は何もさせてもらえなかった。
そして、そんな家は必要ないと、エイケルナル大陸の端まで飛ばされちゃった」
「その右目は病気で?」
「うん」
(予想通りか)
フィルの予想した通り、やはり右目は病気でなくしたようだ。しかし、彼女は詳細までは言わなかった。
そこは彼も察して、特に深く言わないようにした。
「だから、西ゲブの方で人前に出ない仕事をやり始めて……暗殺とか……それで、なんとかうちの家を立て直そうということした。
戦乱が起きたのは、ある意味好都合だったけどね。でも、そんなことやっても……パパとママは戻ってこないけど……」
「……」
少女はそれ以上語ることをやめた。誰の声も聞こえなくなった地下の廊下は、想像以上に静かで、悲観的だった。
「……ひひっ、自分で言うのもなんだけど、あたしって変な人だね!」
「間違いない」
「はあー、この話したのいつ振りだろ……」
少女は肩を撫で下ろしている。彼女にとって、余程人には話さない内容なのだろう。
「でも、大分落ち着いた。
話聞いてくれて、ありがとうね」
彼女はフィルの上から離れ、立ち上がった。
フィルも、仰向けからようやく起き上がることができた。
「でも何でそんな話を僕に?」
「気まぐれ、かな」
そう言って、少女は大きくあくびをした。
その様子だけ見れば、ただの年端も行かぬ健気な少女にしか見えない。
暗殺を働く西ゲブランドの人間には、とても、とても。
「これで帰るけど、あたしのこと報告してもいいよ。ここにはもう来ないし……」
「僕の暗殺には来ないってこと?」
「さすがに勝てないしね」
少女は頭をかきながら笑って答えている。
「あ、それと短剣返してよ。あれあたしの大切なものだから!」
「それはダメだ。君は悪い人間じゃないのは分かるけど、武器を返すことは出来ない」
「ちぇ……ま、いっか。」
そう言ったスカウトの少女は、微笑みながら階段を上がっていった。
彼女にずっと上に乗られていたフェンサーの少年は、自らの境遇と近く、
そして正反対の立場に居る人間を前にして、思い悩んでいた。
どちらも、貴族家の末裔であること、両親を戦火で亡くしたこと。
歳がどうであれ、彼女にもまた信じるものは己自身しかなかったということだ。
そこから導かれたのは、どちらとも「戦い」という結論だった。
(本当に、自分自身を、この剣を、信じていいのか……?それが、戦いを終わらせる最も有効な手段なんだろうか……)
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