第一部隊がアベル渓谷で敗北を喫してから数日が経った頃、
ゲッダス、ディラン、イヴらがアンバーステップを離れ、ゴブリンフォークへ異動する日が訪れた。
ディランの意識は既に戻っていたが、年齢の影響もあってか怪我の自然治癒は遅れていた。
イヴの怪我は治癒自体は進んでいるのだが、意識は戻っておらず、この数日間寝たきりの生活を送っている。
そんなディランの病室に、一人の男が訪れる。
第一部隊を率いるリーダー、フィリップ・S・ランスだった。
彼は椅子に腰掛けると、病室で横になる初老のソーサラーに声を掛けた。
「ディラン、体の様子はどうかな」
「体調は悪くないですが、気分は優れません。
……これも、私が歳ということなのでしょうね……」
窓の方を見ていた彼は、横になりながらもフィルの方を向いて答えた。
フィルは、彼の青い髪の中にも、白髪が目立ち始めていることに気がついた。
「……ディランが居ない間、僕は第一部隊をまとめきれる自信がない」
「はは、フィル様は私が居ないと心配ですかな?」
「それはそうだよ。僕が生まれてから父上の次によく知る存在だし、何より信頼してる」
フィルが生まれた頃には、当時執事であったディラン含め、屋敷には多くの家事手伝いが居たという。
しかし、フィルが生まれたのは既にライオネスが中年期の頃であり、ようやく生まれた嫡男が嬉しかったのか彼は育児に没頭するようになった。
そうして帝国軍の出世コースから外れると、その家事手伝いの数も少しずつ減っていった。
彼の遺産目当てだったフィルの母……彼には思い返すのも憚られる程の愚人だったが――も、憤慨のあまり精神病を患い、早くにこの世を去った。
ライオネス自身も、反乱の際に鎮圧軍の第一部隊隊長として抜擢され、ディランも執事を辞め、彼を追うように第一部隊に参入した。
今、屋敷には、ある少女と、それの世話をする家事手伝いの二人しか残っていない。
第一部隊の面々はフィルとは良好な関係を築いているが、幼い頃から彼を支えていたディランは、フィルにとってもまた心の支えだった。
「そう言っていただけるだけで、光栄の極みです」
そう言ったディランは、ベッドから起き上がり、机の引き出しから書類を取り出した。
「……ただ、ゴブリンフォークの防衛に付いている間は、私は参謀として第一部隊にお力添えをすることは出来ません……
それで、私は帝国正規軍の部隊で副参謀を務めていたことがある、学徒時代からの私の知人を呼んでいます」
彼はその書類をフィルに渡し、再び横になった。
「――エントム・L・イグノレンス……」
表紙には、そう書いてあった。この書類には、彼の情報や履歴などが載っていた。
エルソード魔法学術院を卒業し、西ゲブランドでの魔法研究所に勤めた後、ゲブランド帝国正規軍に志願した氷ソーサラーだった。
「学徒時代の頃は私ほど成績は優秀ではありませんでしたが、彼は知識豊かな人間です。
そして現役の参謀官ですので、きっとフィル様の力になってくれると思います」
「ありがとう、ディラン。彼を頼りにすることにするよ。
でもディランも、早く傷を癒して戻ってきてくれ」
書類をさっと見終えたフィルが書類を机の上に置いた時、書類の間から一枚の紙が床に落ちていった。
フィルはそれを拾った。どうやら写真のようだ。
「……ん」
写真には、二人の男性が肩を組んで笑い、その左隣で一人の女性が微笑んでいる様子が写されていた。
すでに写真は色褪せており、髪の色は分からなかったが、
真ん中の男性が恐らくディランで、その隣の男性がエントムなのだろう。フィルはそう思った。
「あぁ……それは私が学徒時代の頃の写真です。もう何年前のことか……」
ディランはフィルが昔の写真を見ていることに気づき、昔を思い出したような顔をしている。
「そんなに古い写真だったのか……落としてごめん」
「……いえ、粗雑においていた私のせいです」
フィルはそれを彼の元に返した。
「ありがとうございます」
写真を受け取ったディランは、懐かしいものを見るように写真を見ている。
<<――隊長?起きてるかぁ?>>
その時、フィルのクリスタルに通信が入った。
相手は、声を聞くにオスカーだとフィルには分かった。
「起きてるよ。何かあったかい?」
<<エントム?ってソーサラーがここに来てるみたいなんだが……>>
フィルは、噂をすれば何とやら、という格言を思い出した。上手く思い出せてないが。
「分かった。すぐに行こう」
上着に通信クリスタルをしまうと、彼はディランに一礼をして部屋を出ていった。
ディランも、彼に一礼すると、再び写真に目を向けた。
誰も居ない病室の中、ディランは一人、寂しく呟いた。
「――セリア、私は君を――」
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そのディランが横になっている部屋の、隣の病室……イヴが今も
彼女が眠るベッドの側には、ある兵士が一人、つきっきりで看病していた。
「はぁ……イヴリス様、いつになったら起きてくれるんだろう……」
ラウエル・ファイバナッシ。片手ウォーリアで、イヴの直属の部下だ。
アベル渓谷において、彼だけは自爆攻撃を受ける前に吹き飛ばされており、被害を受けた兵士の中では最も軽症だった。
「くそっ、自分が付いていればイヴリス様を守ることが出来たのに……」
イヴの怪我を見て、悔み悲しむ彼の後ろに、一人のウォーリアがやってきた。
「……よう、イヴの様子はどうだ」
ジャックであった。
「ジャックさん……」
ラウエルは、彼を見て、なぜだか涙がこみ上げてきた。
「ジャックさん……!自分は……自分が付いていながら……!」
「いや……でも、お前はイヴと共に戦ってくれたんだ。
お前が前衛に居なければ、イヴは奴に深く踏み込み過ぎて、命を落としていたかもしれん」
ジャックは、涙で顔をぐしゃぐしゃにしているラウエルの背中をぽんと叩いた。
「ただ、次にイヴが何かあった時、お前一人で守るのは心許ないだろう。俺が付いてやる」
「……え……?」
ラウエルは、ジャックの言葉の意味を理解出来なかった。
ラウエルはイヴの看護兵として、彼女と共にゴブリンフォークへ向かう。
それなのに、どうして第一部隊アツィルト軍団長が護衛について行けようか、と。
「……『替え玉』を使うんだよ、『替え玉』を」
ジャックはにやりと微笑んだ。
「でもジャックさん!それって……」
「ああ、間違いなく軍紀違反だな。
ただ、俺はイヴを……今も目を覚まさないイヴを、俺の手で守れないと思うと、どうしても不安になってしまうんだ」
「……」
ラウエルは、彼の話を黙って聞く他なかった。
「俺は、イヴを守りたい。……それだけだ」
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前線拠点正面入口にて、オスカーと、彼の隣に一人のソーサラーが立っていることを確認したフィルは、駆け足で近づいた。
ソーサラーは、フィルを見て軽く挨拶をした。
「君が、あのライオネス殿のご子息、フィリップ君かね?」
「はい。今は亡き父に代わり第一部隊を率いております」
「お噂はかねがね……ディランから話は聞いたよ」
眼鏡を掛け、白髪交じりの赤い髪をしたソーサラー……
「怪我で動けないディランの代わりに、参謀をさせていただくよ。エントム・L・イグノレンスだ
ま、あまり期待はせんとくれ……彼ほど頭が切れる人間じゃあないからね」
ブエルローブを身に纏った彼こそが、エントム・L・イグノレンスであった。
「いえ、エントム様は今現在も実績を重ねておられるお方です。
第一部隊の参謀代理として、大いに期待させていただきますよ」
フィルははにかんだ。
ただ、話を理解出来ていない男がここ一人。
「参謀代理?」
オスカーは首をかしげた。
実際にはフィルとディラン以外に耳にした人間は居ないので、当然といえば当然だが。
「あぁ、オスカー……いや、誰にも話してないか。
ディランがゴブリンフォークで治療を続ける間、エントム様に第一部隊参謀代理を務めていただくことになった」
「なるほど。……えーと、エントム……様?オスカー・ランバーグだ。よろしく!」
「おお、よろしく頼むよ。ヤングマン」
オスカーとエントムは、がっちりと握手した。
どうやらオスカーは、実績をしっかり残している人間は気に入るようだ。
ただ、実績のあまりないフィルに従っているのかは、彼自身にはよく分からなかった。
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