「……君だったか」
フィルは、アンバーステップ平原北方の山頂にて、エントムを庇うようにして現れた一人のソーサラーと対峙していた。
プレオナスト一式装備に身を包んだ、白髪交じりの蒼髪のソーサラー……
「お久しぶりです。フィル『坊ちゃま』」
煽るようにして昔の呼び名を使う男は、第一部隊副隊長及び参謀のディラン・スカラブレックだった。
「ディラン……!」
フィルは刺突の構えを崩さず、常に正面に彼を捉えている。
彼の表情には余裕は無かったが、ディランの表情にはまるで余裕があった。
精神状態の違いもあるだろう。
「君が……この反乱の黒幕ということか……!」
「ええ、まぁ。厳密に言えば違いますが、無知は恥ですし、昔のように少し講説をさせていただきましょう」
「……っ」
フィルは、いつでも一足飛びで彼に飛んでいける姿勢を保ったまま、彼の話を聞き始めた。
「西ゲブランドに迫害された旧王家らが、傭兵将軍ウィンビーンを中心に反乱を起こしたのは知っていますね?」
「……」
「私の目的は、この大陸を5つの国に分けることでした。
ゲブランド帝国はメルファリアの半分を支配する強大な国家……あまりにもバランスが悪すぎます。
そこで、この国を二つに分けられるこの反乱を利用した、ただそれだけです」
ディランは、フィルの様子を気にも掛けぬまま、講談を続ける。
「まずは、反乱軍を勝利に導くために、邪魔な要素であった第一部隊を取り除くことにしました」
「……まさか、」
「ええ、そうです。あのハンナハンナ島撤退作戦も私が仕組んだものです。
ライオネス様は上手く仕留められましたが、フィル様はお父上とファリナ様に守られ、逃げられてしまいました」
ファリナ・エスネール……彼女は元第一部隊のスカウトで、フィルには訓練の際の戦闘教官として厳しくしごかれた思い出があった。
あの撤退戦で、彼女がレイスに『ヴォイドダークネス』を巻かなければ、彼は今頃断頭剣で一刀両断にされていただろう。
「貴様が父上を……!」
「まぁ落ち着いて下さい。まだまだ講義は続きますよ。
フィル様はライオネス様の優秀なご子息……
邪魔な芽となるのは間違いないと判断した私は、第一部隊という括りに再びあなたを縛り付けることにしました」
「……」
「皆様気合が入っていらっしゃいましたから、それはそれは特に手を煩わせることなく再編に成功しました。
……フィル様を隊長に抜擢して……ですね」
つまりは、第一部隊が一度崩壊したのも、そして第一部隊が再編されたのも、この男の仕業、ということだとフィルは理解した。
――しかも、どちらとも目的は隊長であるランス家の人間の誅殺。
「隊長にならずとも良いように、暗殺の機会は窺っていましたが……雇った暗殺集団はとんだ大ハズレでした」
「……」
「まぁそれは試験には出ない内容です。
元々士気差で反乱軍優勢だったのですが、第一部隊を再編したことで正規軍の士気が上昇させてしまいました。
そこで、一つお灸を据えて差し上げようと思い、西ゲブランドに顔が広いエントム殿に『キマイラブラッド』を持たせ、指揮を行っていただきました」
「あれはウィンビーンによる作戦じゃなかったのか……!?」
「にはっ」
ディランの後ろに隠れている男が、顔を横から出してニヤリと微笑む。気持ち悪い。
「あぁ……ウィンビーンですか。彼は今、首都ルーンワールに潜伏して、首都での武装蜂起の機会を窺っていましたよ。
きっと首都では今、暴動が始まっている頃でしょう。これで現ゲブランド皇帝が亡き者になってくれるのが理想ですがね」
フィルは、この一連の反乱にウィンビーンは殆ど関わっていなかったことと、
ここまでして完璧に反乱軍を操作していたディランの戦略操作に驚きが止まらなかった。
「さすが、稀代の天才ソーサラーと言われるだけのことはあるのか……」
「――コホン!」
フィルの言葉を聞いたディランは一瞬だけ喋るのを止め、何故か、非常に不愉快そうに咳をした。
「……講説を続けさせていただきます。アベル渓谷で怪我をしてしまったのは私のミスでしたが、
アンバーステップ平原の決戦では、エントム殿に上手く戦場を荒らしていただいたお陰で、鎮圧軍をほぼ全滅させることに成功しました。
まぁ、尤も鎮圧軍のうち第三部隊はエントム殿の私兵団だったので操作は容易だったと思われますが」
「ヌッフッフ」
後ろの男は再び笑い声を上げる。
ディランはともかく、エントムは人の死を喜んでいるような節があるようだ。尋常ではない。
「残るフィル様は、ロイズ殿に始末してもらおうと思い、私やゲッダス様といった第一部隊の面々を釣り餌に誘い込むことにしました。
ここで上手く二人共倒れにできれば理想だったのですが……現実は上手くいかないものです」
「そうだ……ロイズ……」
カセドリアの『蒼き焔』、ロイズ・レイシュトルム。
彼は、自分の村をランス家の人間に焼き払われた、と言っていたが……
「あいつの村を焼き払ったのはまさか……」
「ええ、私とエントム殿の二人でしたよ。まぁ、エントム殿が主導でしたがね。
まさか村の少年に目撃されるとは思っていませんでしたが、なんとか良い形にフォロー出来ました」
「ハンナハンナ島撤退戦が綺麗に上手く行ったものでね……その帰りに、祝砲を一つ挙げようと思ったんだよ」
「……」
あまりの非人道的な行為……特に、このエントムという狂人に対しては、フィルは言葉が出なくなっていた。
「……さて、以上で講義内容は終わりました。フィル『坊ちゃま』、何か質問は?」
「そうだな……僕がまだ生きている今、これからの話について教えていただきたい」
フィルはそう言い、右手で刺突剣を握り直し、眼前に掲げた。
ロイズに焼かれた右手だったが、今は痛みすら感じない。
この悪の根源を討つことだけに、フィルの全精神が集中している。
「では、先に地獄でこれからのメルファリアを見ていただきましょう。後ほど、私が解説に向かいますので――」
ディランは、左手に持っていた彼の杖を使い、詠唱を始めた。
その一瞬を見て、加速を開始するフィル。
「フェンサーは短調です……何度もライオネス様のお相手をさせていただきましたよ」
詠唱を素早く完了させたディランは、小さな氷魔法を放ち、牽制を行う。
フィルはそれを、前進する勢いを止めないまま、スライディングで魔法を回避する。
「攻撃を回避し、懐に飛び込んでは、蚊のように刺し、あとは殺されぬよう逃げ帰っていくだけ。動きは直線的で至極読みやすい」
「……っ!」
彼のスライディング先に『ライトニングボルト』を撃ち込もうとするディラン。
それを見たフィルは、全身のバネを利用し高く飛び上がってタイミングをずらす!
「……そして等しく、面を制圧する魔法には無力。『フリージングウェイブ』」
ディランが魔法を唱え、彼を中心として、氷結を誘発する突風を球形に生み出した。
その中に上空から入っていくフィル。だが、彼は何も動じない。
「!?」
「てやぁぁ!!」
その彼の普通ではない様子に気がついたディランは、すぐさま回避行動を取る。
ディランの顔を狙った刺突剣は、頬を掠った。
その彼の頬伝いに、赤い血が流れる。少なくとも彼は人間ではあることをフィルは再確認した。
「……今のは何です?」
魔法を受けなかったフィルの様子に、ディランは驚いた顔をしていた。
そして、フィルは再び、刺突剣を眼前に掲げた。『イレイスマジック』である。
「地獄で解説するよ」
「ハッ……!」
ディランは、彼の皮肉を鼻で笑うと、再び牽制の魔法を打ち始めた。
どれも大したダメージにはならないが、防具に触れるだけで一瞬で凍結するこの魔法は、牽制で打つにしては破格の魔法だ。
それを容易に連射するディランは、やはり常人のソーサラーではなかった。
「これはどうです?『アイスジャベリン』!」
氷ソーサラーは、右手から氷の柱を作り出すと、それをフィル目掛け打ち出した。
それを見たフィルは、『ペネトレイトスラスト』の構えを取る。
氷の柱を『イレイスマジック』で打ち消しつつ、間合いに飛び込む戦法だ。
「魔法を無効化ですか……」
魔法を無効化する程に強力な特技が相手だが、それでもディランは不敵に笑っている。
ディランは、『相打ちを覚悟したペネトレイトスラスト』を見切っていた。
横に移動しながら魔法を放っていた彼は、不意にその場で立ち止まる。
「……!?」
フィルが彼の謎の行動に気がついたのは、彼目掛け飛んだ後だった。
空中では軌道の修正は行えない。
(……読まれたか……?しかし着地点は――)
着地の体勢に入ろうとした瞬間、フィルは自分の身に起きた事態に一瞬だけ混乱した。
体勢に入る前に地面に足が付き、その場で体のバランスが崩れそうになる。
彼には、何が起きたのか全く理解出来なかった。
『着地に失敗した』……?いや違う、今まで何百回と繰り返してきた動き、間違えるはずがないと彼は判断する。
なら……『地面が先に来た』……『着地のタイミングをずらされた』……彼がその答えに辿り着いた時――
――僅かに……ほんの僅かに、フィルは、自分の刺突剣が重く感じられた。
ディランの方を一瞬見る。彼の横に、何やら球形の物体が浮遊しているのが見えたが――
「『フリージングウェイブ』」
気を取られた瞬間に放たれた、凍結の烈風。
彼は『イレイスマジック』を展開していたにも関わらず、その風を直撃する。
「つっ――」
全身が凍え、四肢の動きが鈍くなっていくことを、フィルは吹き飛ばされる空中でそれを実感した。
右手の感覚が無い――彼はどうやら刺突剣をいつの間にか手放していたようだ。
そして彼はもう一つ気づいた。ここはアンバーステップ北部の山頂であること、周囲は切り立った崖であるということ――
思考が精神を支配した瞬間、彼は時間の進行がとても遅く感じられた。
ただ、自分の体は少しずつ吹き飛ばされ、崖下へと徐々に落下していく。
そんな中、ディランがフィルに語りかける。
「――魔法を無効化する力も、空間を支配する魔法には敵わないようですね」
(くっ……!)
頭は働くが、体は凍結が始まっており思うように動かない。
ディランが右手で『アイスジャベリン』を作り出しているのが、フィルには分かった。
「……さようなら、フィル様。
貴方は私の脅威足りえる人間だった。ここで始末出来る運命を導いてくれた神に、最大の感謝を――」
そう祈りを捧げた彼は、崖下に落下していく彼に、もう一度『アイスジャベリン』を放った。
氷の柱は、フィルの胸に突き刺さり、
激痛が神経を支配し、時間の進行が元に戻った彼は、今までの記憶が思い出されていく。
『蒼き焔』と死闘を繰り広げたこと――
オスカーやガーランドと共に敵陣を急襲したこと――
レリシアと暗闇の中で出会ったこと――
クヌートと共にフェンサーを研鑽したこと――
ファリナに庇われ命拾いしたこと――
父の部隊で戦いを覚えたこと――
父からフェンサーの基礎を学んだこと――
そして、一人の少女の顔が、思い浮かんできた。
フィルは、最後に彼女の名を呼んだ。
「――シエル……!」
「……?」
とある屋敷で、机で突っ伏して寝ていた少女が目を覚ます。
誰かに呼ばれた――そんな気がした彼女は、窓を開けて外を眺めて、『生きて帰る』と約束した少年の名を呟いた。
「――フィル……?」
今日も、太陽は『白く輝く光』で大地を照らしていた。
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